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2007-03-13 Tue 22:54
子供の頃食べたものの思い出話です。
・テンプラ 「テンプラ」と言っても料理の天ぷらではなくて、魚の練り物を油で揚げたもの。所謂「薩摩揚げ」です。 何故かうちの実家のあたりでは薩摩揚げのことをテンプラと呼んでました。確かに油で揚げたものだけど、そのお陰で私は社会人になるまでテンプラ=天ぷらだと思ってました。(汗) 市内とはいえ、住まいは山に近い集落。近くに一軒だけある商店は万屋。鶏肉、豚のコマギレ肉、鮭の切り身くらいは売っていても鮮魚までは扱っていないため、夕食の魚は自転車でやってきて家々を廻る行商のおじさんから買っていました。 自転車の後ろの木箱には氷とともにいろんな魚(主にサバやサンマ)が入っていて、子供の私の眼に入るのは美味しそうなテンプラ。 夏休みなどで家で昼食を取る時はご飯とテンプラにお醤油をかけたものだけがおかず、ということもよくありました。 夕食のおかず用の魚をおじさんから買った後、じっと見ている私と弟に何気なく母がテンプラを一枚ずつ買ってくれて渡してくれることがありました。 「今食べていいの?」 本来ご飯のおかずにするようなものをおやつに食べる贅沢(笑)に胸がどきどきしたのを覚えています。(揚げたてのコロッケを買い食いするようなものと思ってください) そういえば野菜類は母が家の前にしつらえた畑でトマト、きゅうり、茄子、かぼちゃ、いんげん、白菜、じゃがいも、玉ねぎ、葱、それこそお店で買う必要のないくらいのものを育てていました。実家が農家の母にとって野菜を育てるのは昔も今も喜びだそうです。 内職の和裁に書道教室、家事の他にこれだけの野菜を育てていたからか、料理自体にはあまり手をかけなかった、と言うか、粗食の方が合っていると日頃口にしていた母のためか食卓の記憶と言うと思い出すのはテンプラ、サバの塩焼き、かぼちゃの煮物など簡単な料理ばかり。 自分も年を取り、だんだん料理もシンプルにあっさりしつつあり、時々テンプラを小松菜と一緒に煮たり、表面をさっと焼いてステーキぽくしたりと昔の食卓の味を懐かしんでいます。 ただし海の近くで育った夫は、魚とは生きている魚であり、テンプラに到っては邪道の食べ物と思っている節がありますが、今のところは文句を言わず食べています。 |
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2007-03-12 Mon 00:01
子供の頃の食べ物の思い出を徒然に綴ります。今回はお金では買えない食べ物の話。
・お嫁さんのお菓子 日曜の昼下がり。お嫁さんのお菓子がもらえるよ、ということを聞いて近所のお家へかけていく。 しばらく近所のおばさん達と庭で待っていると、縁側に白い角隠しを被った花嫁さんが手を引かれて現れ、一同溜息がもれる。 それと同時にダンボール箱に入った「お嫁さんのお菓子」が訪れた人々に配られ、自分も神妙に受け取った。子供心にも白粉の匂いのする美しい花嫁さんは「汚れなき存在」のような気がして、側まで寄って見ることが憚られて遠巻きに見ていた。 お嫁さんのお菓子は寿の赤い文字の入った白い袋に入っていた。食感はモナカの外側のふわふわの皮を固めにした感じ。ほんのり薄いピンク色だったと思う。 表面にざらざらとしたお砂糖の甘さがある。 成人していざ自分が結婚する段になって、何故か自分の「お嫁さんのお菓子」は食べそびれた。 結婚する前一年間は、実家より遠くに下宿して職場に通勤していたのだが、結婚式直前に実家に帰宅した頃にはお嫁さんのお菓子はもうご近所に配り終えて一枚も残っていなかったのだ。 父が早々とお祝いに訪れる近所の人達に気前よく何袋も渡してしまったのだと言う。その様子を想像するに、父は多少ヤケクソ気味だったのではないかと思うのだが。 結婚後は東京に出てきたので、妹の結婚式の時、妹が嫁ぐ前日に実家に帰った。その時ももう妹のお嫁さんのお菓子は残ってなかったと思う。お祝いのお菓子は出し惜しみせずにどんどん配る方がふさわしい。妹は自分のお嫁さんのお菓子は食べることができたのだろうか、聞きそびれている。 自分が結婚する時、着物を着て母と一緒に近所の家々を挨拶周りした。その時よく知らないお婆さんが「そう、結婚するの」と涙ぐむことがあり戸惑ったのを覚えている。母は私の気持ちを察するように「貴方が結婚して寂しい、ということではなくて、自分の結婚の時を思い出しているのよ。いろいろ苦労したことや何かを」と帰り道でそっと話した。 お嫁さんのお菓子にある喜びや不安や一抹の悲しさを、子供の時も密かに感じながら食べていたのかもしれない。 |
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2007-03-11 Sun 00:44
「なにを食べてきたかいってごらん。あなたという人間を当ててみせよう」
といったのは、たしかブリア・サヴァランだったと思うが、子供時代にどんなお八つを食べたか、それはその人間の精神と無縁ではないような気がする。 (向田邦子「父の詫び状」お八つの時間 より ) アジア映画ネタのない時、徒然に子供の頃食べたものの思い出話を少々書いていこうかなと思います。興味がない方は飛ばしてくださいね。 ・ロバのパン 昭和40年代の子供の頃、お店にチョコやビスケットは売っていたものの今ほど手軽にお菓子が買えることもなく、貧しかったので学校から帰ったら必ずおやつがある、と言う家庭ではなかった。 そのせいか、おやつに纏わる記憶はイベント性のあるものが多い。 その一つがロバのパン。車で歌を流しながらやってきてパンを売るという移動販売。 ♪ロバのパンはきんからりん きんからりんと やってくる ジャムパン ○○パン 甘くて美味しいいかがです チョコレートパンにアンパンに 何でもあります きんからりん♪ 歌詞のジャムパンの後がいつも「どてパン」と聞こえていたので正確な歌詞が今だにわからない。 この音楽が聞こえてくると近所の子供達と一緒になって移動販売の車を走って追いかけた。 そして一つ違いの弟と一緒に家に飛んで帰り「ロバのパンが来ているからお金頂戴」と母にせがんだ。 貧しかったはずなのだがロバのパン代を渡してもらえなかったことはなかった。 ロバのパンは正確に言えば「パン」というより「蒸しパン」だった。蒸した白い生地にクリームやジャムが入っている。私はカスタードクリームが好きなのでいつも「クリームパン」を選んでいた。チョコレート味のも食べたような記憶があるが、ジャム味は買ったことはない。(今のジャムパンは美味しいと思うが、当時巷で売っているジャムパンはそれほど美味しいとは思わなかった。ジャム自体がそれほど好きではなかったのかもしれない) ところでこの「ロバのパン」今でも販売しているそうで、10歳下の妹は地元に嫁いでいるのだが販売に来たので懐かしく、近所の小さな子供と一緒に並んで買ってみたのだそうだ。 味はあんまり美味しくなかったよ、とがっかりした様子で言っていた。 思い出は思い出のまま取っておいた方がいいのかもしれない。子供の頃、移動販売の車を追いかけていた時に比べるといろんな美味しいお菓子が周りにあふれているから。 |

