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ぐうの日常

香港映画俳優トニー・レオン梁朝偉を地味に応援する管理人ぐうの、日常のつぶやきです。  画像の無断転載は禁止です。

「マッド探偵」ティーチ・インと感想 

 

10月24日(水)東京国際映画祭「マッド探偵」上映後のティーチ・イン。
舞台にはジョニー・トー監督。
「マッド探偵」ジョニー・トー監督


以下、ネタばれあり。

監督:朝の上映だったので朝ご飯を食べられなかった人もいるのでは。これが終わったら美味しい朝ご飯を食べてください。

司会:ラウ・チンワンさん、(映画で)5回くらい食べてましたね。

質問:これは完全に整合性が取れているのでしょうか。いつも90分くらいの上映ですが、90分に収まるように撮っているのでしょうか。

監督:時間の長さはあんまり考えていない。90分と決めて撮っている訳ではない。これは挑戦的な映画。自分で観て判断してほしい。人にはいろんな人格があると言うのを観てほしい。
質問:一つのシーンで複数のキャストが出ている。普段の何倍もの手間がかかったのではないでしょうか。監督の心の中には何人の鬼がいるのでしょうか。

監督:確かに今仰られたように他の作品よりも面倒と言うか大変でした。一人の人間が何人の鬼を持っているのか全ての鬼が表面に出ているのか。現場で可能性のある鬼は全部撮ろうとしたが多くはボツになりました。撮りながらも自分でも決められなかった。人物を撮った訳ではない。映画(の筋)に関係のあるものもないものも撮った。
この映画は確かに複雑な内容なので皆さんがどう判断したか気になる。自分もこれで良かったのか迷ってる部分がある。普通、撮り終わると映画から抜け出せるが、これは一年経つがまだ抜け出せない気がする。自分も皆さんも鬼を持っていると思うが自分の方が多いと思う。(会場:笑)

質問:犯人の支配的な女性の鬼。自分の現場を隠そうとした時、やはり鬼が現れた。女性の鬼の方が狡猾な感じがしますが。

監督:女の鬼が出てきた時に皆さんも思ったと思うが「あっこの人は変わってしまった」。最初は子供の鬼、これは恐怖を表している、その後冷静になり、女性の鬼が出てきた。これは、別の人格に変わってしまったと言う事を表しています。

質問:最後までハラハラした。何度も観たい。この映画は演技力が必要な映画だと思う。アンディ・オンとラウ・チンワンにはどのように演技指導したのですか。

監督:この映画の撮影の時は「あまり考えるな」と言った。考えすぎるとわからなくなる。撮っている中、自分たちも考えながら撮っている。次の日に別のことをすると混乱するだろうと思った。いろんな事を試しながら撮った。この人物は○を人にあげるようなまったく変わった人物。そういう人が警官だったらどうなるだろう?と思いながら撮った。

質問:沢山の作品を作られていると思います。今後の作品の予定は。「PTU2」は撮るのでしょうか?

監督:「PTU2」は私は監督ではなく、プロデューサーです。同じ会社の別の人が監督です。脚本を完成させて年末にはまた新しい映画を撮影する。まだキャスティングは決まっていないのでここでの公表は差し控えたい。2007年中に撮りたい。

質問:「マッド探偵」はワイ・カーワイとの共同制作ですね。共同制作の場合の利点・難点などありましたら教えてください。

監督:「鐵三角」は特殊な例ですね。ゲームをしているような感覚で撮った。それぞれツイ・ハークが撮る部分は知らなかった。一つの映画を三分の一ずつ撮ると言う特殊なやり方だった。
「マッド探偵」、ワイ・カーワイとの共同作業はお互いの考え方がわかっていないとできない。二人の間には暗黙の了解がある、二人が一心同体でないと出来ない。一人の監督が撮ったのと同じこと。他の監督と共同すると自分の考え方が広がって良い。



こうして今ティーチ・インを再現してみると「マッド探偵」はもしかしたら監督にとって特別な映画だったのかもしれないと思えてきました。
いつもスパッと何かを切り取ったような映画を撮っている監督だと思っていたので、迷いながら撮ったと言うのは意外な言葉でした。

「女性の鬼が狡猾な感じがする=監督は男性よりも女性が狡猾と見てますね?」の質問の意図をするりとかわして答えているのは上手いと言うか後から奥さんに知られたらまずいと思ったのかどうか。(笑)

それにしても「整合性が取れているのか」という冒頭の質問は随分失礼だなと思いました。整合性が取れているのかどうかはそれが気になる人が自分で勝手に検証すればいい訳で、監督自身が訴えたいことは他の質問の答えにもあるように、別の次元にあるのですから。


観る前「いくつのも人格があって云々」と言う映画の紹介をどこかで読んだときはラウ・チンワンが多重人格の刑事なのかと想像していました。
それが実はその人の心の中にいる鬼が、実際にいる人物のようにラウチンに見えている、という設定の面白さに惹かれました。ただし、そのことは最初何の説明もないので観客は今観ている世界がラウチンの観ている世界なのかそれとも現実なのかわからず混乱するような仕掛けになっています。
でもその仕掛けさえわかれば決して「難解」とは思えません。少なくとも日本人には理解しやすい内容だと思います。

「何故あの人に○をあげたの?」の問いにラウチンは「あの人の心の中には鬼がいなかったから」と答えます。
この行為は一見相手に対しての嫌がらせに見えますが、普段鬼に話し掛け、振り回されているラウチンにとっては鬼がいない人の方が異常に見えるのでしょう。

鬼と上手く折り合いをつけ、決して鬼に自分をのっとられない精神のバランスのとれた生き方が必要なのかなと思います。
漫画の話ですみませんが、萩尾望都の「城」を思い出しました。
(その中には白い石と黒い石を半々に使わないとお城は建てられないと言う言葉が出てきます)

category: 香港映画

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