ぐうの日常

香港映画俳優トニー・レオン梁朝偉を地味に応援する管理人ぐうの、日常のつぶやきです。  画像の無断転載は禁止です。

私はこんなものを食べてきた 8 

 

久々の食べ物の思い出です。

・夏の焼きおにぎり

夏、家族で海に行く時、または遠出をする時のお弁当のおにぎりは焼きおにぎりでした。といってもお醤油を塗ったおにぎりではなく、中に梅干を入れて表面をパリッと焼いた白いご飯の焼きおにぎり。

大人になるまで「焼きおにぎり」とは「白いおにぎり」の事と思っていました。

表面に海苔を巻いたおにぎりの方が好きな私は「夏の白い焼きおにぎり」がちょっと物足りなかったものです。
「なんで焼くの?」と聞いたら「暑いからね、おにぎりが痛まないように」と母は答えてました。

今、あの表面が少し香ばしく梅干の味の白い焼きおにぎりを思い出すと一緒に夏の日差しや、海で泳いだ後のシャワー室で水着に入った砂を洗い流していたことや、熱く焼けた砂の上を歩いたことを思い出すのです。
そして自分で「白い焼きおにぎり」を再現しようと思いつつ結局一回も作ることなく夏を過ごしてしまうのでした。

・白いタクアン

同じ白いものでもこちらは冬の思い出。私が小さい頃、冬になると母はタクアンを漬けていました。

沢山の大根を水で洗って泥を落とし、漬物用のポリバケツに漬けていくのです。小学一年生の時の冬休みの日記に、大根を洗うのを手伝った事を書いてあったので(数年前実家で発見)少なくともその頃はまだ漬けていたはず。

なんでタクアン作りを止めてしまったのか(梅干やお味噌はまだ作っていた)母に聞いてなかったけど、たぶんその後始めた内職の和裁が忙しくなって用意をする暇がなくなったのだと思う。お正月前や成人式前は和裁の依頼が立てこんで徹夜続きだったから。

まだよく漬かりきっていない白いタクアンが好きだった。少し甘くてあまり塩辛くなくてさっぱりして新鮮な感じで。

もし明日が地球最後の日で、「最後の晩餐」に何を食べたいか、と尋ねられたら今なら「母が漬けたタクアンで、まだ漬かりきっていない白いタクアン」と言うだろう、と夜布団の中で思い始めたら口の中に唾が一杯溜まって眠れなくなってしまった。

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私はこんなものを食べてきた 7 

 

・ストローに入った寒天
お店で売っていたお菓子。ストローを口に含んで吸い込むと、ストローの中に入った寒天が口の中につるつるっと滑り込みぐしゃぐしゃになる食感が気持ちいい。
いろいろカラフルな色があったけど全部ニッキの味がしたような気がする。

・ボール型アイス
テニスボールを一回り小さくしたような丸いゴム風船みたいなのの中にアイスが入っていて、口で吸い出して食べた。なんでゴム風船みたいなのに入っていたんだろ?他のアイスよりは長持ち(笑:なかなか食べ終わらないから)したような気がする。これを食べると顎が疲れました。

・水泳の授業の飴湯
うちの小学校にプールができたのは3年生の頃だったと思う。
それまで夏の水泳の授業はどうしていたかと言うと、近くの川まで先生と一緒に歩いて行って、そこで泳ぎました。
水泳の授業がある日は朝から制服の下に水着を着ていった覚えがあるから、午前中だったんだろう。川まで子供の足で20分か30分くらいかかったかな。
川底の石を拾ったり、水中に魚を発見したり、泳ぐというよりは川遊びで、とっても楽しかったです。
(実際、プールになってからは、あのきつい消毒水の匂いも腰まで消毒水につかる手間も流れない水も好きになれなかった)
ひとしきり川遊びした頃、カランカランと鐘の音が聞こえると川から上がる合図。
コップに入った飴湯を一人一人手渡されて飲みました。トロッとして少し甘い味の飴湯はなかなか冷めずとっても熱くてゆっくりゆっくり飲んだのを覚えています。
川で冷え切った体を温めるため飲んだ飴湯は川泳ぎとともに姿を消して、プールでの水泳の後では登場しなかったのでした。

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私はこんなものを食べてきた 6 

 

ジャンクなもの、その他もろもろ。

・粉末ジュース
一回分ずつパックになっていて、コップの水に溶かすと赤いジュースや緑色のジュースになる。鮮やかな色の果汁0%ジュースに心躍った。
いつの間にかパックにストローを差し込み、粉のままの状態で吸い込むのが流行ったのはうちの地域だけだろうか?口の中の唾液で粉末がパッと溶け、なんとも言えない刺激的な味だった。メーカーさんはこんな食し方を想定していたかな。

・お祭りの型抜き
固く薄く伸ばしたガムに切れ目の入った絵が描かれていて、それを折れることなく綺麗に型抜きできると何か賞品がもらえる・・のだったと思う。思うと言うのは一回も成功したことないから。覚えているのは傘の図案。どんなに簡単そうと思って始める図案にも、細く折れ易い部分があって成功することはなかった。失敗するとすぐ口に放り込んで食べたが、ガムとしてはそんなに美味しい味ではなかった。
お祭りでついついやってしまったが普段お店でも売っていたと思う。

・お祭りの林檎飴
何故かお祭りになると買ってしまっていた林檎飴。たこ焼きやタイ焼きの方が美味しいと思うのだが、割り箸に突き刺さった、赤い飴にコーティングされた丸ごとの林檎飴を見るとつい買ってしまうのだ。固い飴の表面に歯を当ててパキッと噛む最初の一口が魅力的だった。甘い飴と甘酸っぱい林檎の味が口の中で混じるのも好きだった。そして半分くらい食べたところでお腹一杯になって後悔する、と言う同じパターン。それはそうだ、大人でも林檎一個食べればお腹一杯になるだろうから。

最近、鎌倉で飴でコーティングされたフルーツを見たが、林檎ではなく「葡萄一粒」になっていた。これなら食べられるね・・。ちなみに台湾ではトマトの飴がけがあるそうだ。食べてみたし。

・肝油
春休みになる前に学校でもらった肝油。浅田飴のような缶に入っていたと思う。「春休み中、一日一個ずつ食べなさい」と言われたが、春休みが終わる頃思い出して、慌てて何個も口に放り込んだ。自分では帳尻合わせしたつもり。
当時は児童の栄養状態が良くなかったのでこういう事が行われていた。今ならダイエット教室をやらないといけないかもね。

・ぎょう虫チョコレート
学校で行ったぎょう虫検査でひっかかる(陽性になる)ともらえる!虫くだし用チョコレート。当時は人糞を畑の肥やしにしていたので、クラスで何人かは引っかかった。私も何度かもらった。チョコとしてはちょっと甘味が足りないなと思ったけど思いがけないお八つをもらった気がして嬉しかった。自分がもらえない時はもらった人が羨ましかったり。
もらった子がいじめられる、と言う事は当時はなかったです。ぎょう虫に対してそんなに嫌悪感はなかったのですね、昔は。

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私はこんなものを食べてきた 5 

 

・ひなまつりの寒天

ひなまつりと言うと全国的には3月3日だけど、うちの田舎では旧暦で行事を行うので、ひなまつりは4月3日でした。
七夕も8月7日。子供の頃はこれが不満でした。何でもテレビが格好いいと思っていた子供時代、「テレビでは7月7日が七夕なのに、なんで8月7日なの?」と母親に聞いた記憶もあります。一ヶ月待たされるのがつまらないと思ったり。
お正月はさすがに1月1日でしたけどね。

でもひなまつりが4月3日なのはそんなに不満ではありませんでした。
なぜって春休み中にあるから。

ひなまつりで一番覚えているのは赤、緑、白(透明)の三色で作られた寒天でした。
きっとちらしずしや太巻きもあったと思うのですが、子供だからそんなに複雑な味が理解できる訳でもなく、やはり甘い味がご馳走と思われたのです。

ひんやりした薄暗い居間に行くとテーブルの上にチラシがかかっていてそっとめくるとバットに流し固められたきらきらと輝く寒天がありました。
「食べていい?」と母に尋ねて包丁を持ち出し、包丁を引くと子供の弱い手でもスルスルと寒天が面白く切り取れました。

色が違うだけで、たぶん味は同じはずなのですが、赤色は甘く苺やさくらんぼのような雰囲気が、緑はちょっとクールで落ち着いた味、白(透明)はシンプルな味のように感じて、三色をまんべんなくつまみ食いしていったのでした。

ひなまつりには小さなお重(ピンク色などの女の子らしい可愛いもの)に寒天やら太巻きを詰めて、外でお弁当を広げるようにちょっとしたピクニックをする習慣もあったそうです。
私は全く記憶がないのですが。

私がまだ物心ついていない時、うちの父と母はとっても貧しくひなまつりに太巻きや寒天を用意できず、普通の日として過ごした時があったそうです。
本人(私)もわかってないしね、まぁいいかと思ったのではないかと思うのですが、そういう時に限ってか?近所の同じくらいの幼い女の子(遊び友達)が小さなお重を持って
「遊ぼう」と来たのだそうです。

しまった、うちは用意してないよ、と両親が思ったのかどうかは知らないのですがその時、小さな私は彼女が下げているお重を見て何かを手に下げないといけないと思ったのか(笑)母のハンドバックを下げて出てきたのだそうです。

「それを見てね、貴方に本当に可哀相なことをしたと思ったのよ」と母が話してくれたことがあるのですが、自分は全く覚えていないので不憫とも思わず、むしろハンドバックを下げてきたなんて機転が利くじゃん、自分なんて感想しか持たなかったのですが、今の年になって両親の立場で想像してみるにそのせつなさが伝わってくるような気がするのです。

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私はこんなものを食べてきた 4 

 

・お誕生会のカレーライス

田舎ながらも私が小学生だった頃、好きな友達を何人か家に呼んで「お誕生会」を開く、というのが始まり出した。

と言っても招き招かれるのは多くても7、8人。お誕生会はお昼を一緒に食べるということでどこの家でも子供たちの好きなカレーライスが出された。

何故子供の頃、あんなにカレーが好きだったんだろう。
遊び疲れて夕暮れ時に家路に着く頃、家から少し手前でカレーの香りが漂ってくる。
「あっカレーの匂いだ、ウチだったらいいな」
家の玄関を開けるとカレーの香りが強くなり、ウチだったんだ!良かった!と、胸の中がえも言われぬ幸福感に満ちてくる。

よその家でのカレーも「我が家が一番」と思いつつどんな味か期待して食べる分美味しく感じたものだ。

私は全く覚えていないのだが、私が小学生の時に書いた日記(か作文)で面白いのがあったよ、と母が笑いを堪えながら語ってくれたことがある。

その内容とはこんな感じだったらしい。
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